こんにちは。新年明けましておめでとうございます!
久しぶりに日記の更新をしてみました。
というかストロベリーに在籍してちゃんとお店ブログを更新したのは初めてかもしれません。。。。
簡単に僕の自己紹介もしようかなと思います!!
●名前
江戸川レオ32歳
物事を深く考察したり自分の知見を高めていくことで好きなので、考察系セラピ?インテリ系セラピ?と迷ったのですが、チャッキーさに欠けるかなと思い江戸川という『誰もが想像するであろう国民的キャラの探偵』からお名前をお借りしています。笑
●趣味・特技
イチ活(いちごスイーツを食べたり絶品いちごスイーツを探す活動)
料理教室
美容医療、美容課金
ポケモン
そもそもストロベリーボーイズさんを選んだきっかけが、自分が苺を狂おしい程に好きというのが理由でした。そんな理由?と思われるかもしれませんが、ほぼそんな理由なんです。産地レベルで答えられるぐらい苺が好きです。
また私は元々健康に固執した健康オタクだったので、20代の後半ぐらいから食に関する知識を深めていきたいと料理教室に通い出しました。アラサーの独身一人暮らしにとっては食生活とは割と死活問題で、健康でい続けることの他、将来的に長く綺麗でいることに直結してきます。
美容に関心を持ち出したのは、女風を通して、皆様に『逢ってよかったと思われるキャストでいたい』と思うようになったのがきっかけでした。もちろん上記のようなアンチエイジングの意味もあるところですが、やはり一般男性とは差別化を図っていきたいなと日々感じています。また同じように、綺麗になりたい!と望んでいる女性の皆様への助けとして私自身の実体験を共有できたらなと思いました。実際の美容歴としては、脱毛、エラボトックス、アートメイク、糸リフト、バッカルファット・メーラーファット除去、顔の脂肪吸引です。よかったら何でもご質問ください(´-`*)
ポケモンについては特に言及すべきようなことではないかもしれませんが、強いて言えば私も幼き頃から、たとえ火の中水の中草の中森の中土の中雲の中と辿り、最終的にあの子のスカート中とポケモンマスターへの道を踏み外してなるべくして女風セラピになったのかもしれません。推しはイーブイです。
●女風に入った経緯
変ったことをしてみたい、自分がやったことのない経験をしてみたいと思い、特に昔から男性よりも女性と趣味や感性を共有することの方が好きでしたので女性に奉仕することをしたいと思い女風にたどり着きました。
女風の世界で良くして頂き、居心地の良さから9年もお世話になっている身ですが、主に男性社会に長いこと身をおいていた私からすると、繊細な気持ちを共有できたり、それを真摯に語り合うことができるのが幸せだなと感じています。もちろん男性側にそういった趣向や能力がないということではなく、今までの男性社会ですといかに『男らしくあるか』を求められたりする場面が多かったり、例えば力仕事は男がやって当たり前という価値観が根付いていたりします。いわゆる性のマイノリティーを軽視される風潮があったりするので、正直生きづらいなと感じて過ごしていた時期が多々ありました。
女性向け風俗の世界は、どれだけマイナーな趣向や、人に相談しづらいお悩みがあったとしても、誰からも否定されずにそれを表現しオープンにできる世界です。そんな肯定的な世界が僕はすごく良いなと思っています。
自己紹介はこのぐらいにして、、、、、
2025年になりましたが、皆さんにとって2024年はどういった1年だったでしょうか。
私は今年の初め、この一年は特に実りある一年にしたいと思っていくつか目標と決意を固めて臨んでいたところでした。実際に今この一年を振り返ってみて、それがどれくらい実現できたかなと考えると体感60%ぐらいは実現できたのではないのかなと感じています。
2024年に頑張ったことは……
◆自分の人生の在り方について考える
◆写真撮り方、編集の技術を培う
◆新しい自分の発見
◆美容医療でコンプレックスをさらに克服する
◆断捨離の徹底
◆健康に注視する(主に食)
◆自分より若い層の声や叫びに耳傾ける
◆政治経済の流れに機敏になる
◆WEBスキル全般の強化
◆聴く力の勉強
箇条書きすると感じです……。
一年の初めに漠然とでも目標を作ったことはやはり有意義であったな俯瞰しています。漠然とでも何かを想い描くことで日常生活にアンテナを張れるだけでなく、思想は考え方を変え、さらに考え方は行動を変えてくれるので最終的に結果を変えるのではないかなと。
特にですが、女風では様々な世界に生きる皆様のお話を聴取でき、インプットもアウトプットも成せるので、私にとって本当にありがたい環境でした。お互いさらけ出して肌を重ねると困難だった話とか、この先の夢とかお話したくなりませんか??
私の2024年を振り返った際に今年は例年に比べると自身を優先してきたような一年に思えます。今までの私は人に尽くすことに喜びを感じ、誰かの役に立つことに生きがいを感じて生きてきました。実家の家族を大事にすることや、仲の良い友人、お仕事で関わった同僚や上司、もちろん敬愛してくださるお客様も。今思えば人を通して自己の有用性を感じたかったのかもしれないです。もちろん根本的に他へ貢献しながら平和的に生きたいなという想いは今でも変わりません。
ただ、他己中心的になるのと実際にそれを行動に移すのでは本質が違うのではないかと思うのです。目の前に困っている人がいて、自らの手を差し伸べるのは優しさですが、実際のところ目の前の人は本当に困っているのか。有益となる本当の優しさとは何か。
その昔学ボランティアサークルを通して、日本の震災被災地や海外の貧困地域に出向いて住居建築の活動をしたことがあります。一見聞こえは良いのかもしれませんし、若くしてボランティアという活動に、何かすごいことをしているのかもしれないと少し天狗になっていた私がいました。ところが実際には技術も財力もないまだ学生だったの私には何もできないどころか、現地にいけば食事や宿が提供され現地人の優しさにあやかり、コーディネーターさんやNGO法人の方にもお世話にもなりました。学生という身分で学費を出してもらっている両親の苦労も考えず、せっかくのアルバイト代を縁もゆかりもない誰かのために費やす活動。ちょうど世界情勢も若干よろしくなかった時期でしたので、海外活動の際は両親には多大に心配をかけました。今考えたら20そこそこの日本人学生が治安が悪く戦争が起こるかもしれない国にいくなんていろいろ本末転倒だったなと思います。笑
ただそれでもエネルギーが有り余って何かをがむしゃらに頑張りたかった私は、反対を押し切ってボランティア活動に励んでいた時期がありました。両親とはこの時期多々酷く言い争いをした記憶です。
周りに迷惑をかけてでも強行する信念に『優しさ』というのははたしてあるのでしょうか。現実的には何十万もお金かけて無理に現地に行くよりも、100円でも投げ銭してあげる方が被災地の方にはずっと快適だったかもしれません。
話を戻しますが、目の前の人が困っていることが事実だったとしても、第三者にとっての最適解が手を差し伸べることでなく、まずは黙って話を聞くことだったり、一緒に悲しむことだったり、あるいはそれを見て見ぬふりをすることだったりするのかもしれません。ほっといてほしい、悲しんだり苦悩を強いられてる姿を見ないでほしい、でもそんな自分の存在を忘れないでほしい、みたいな。
そんな昔の経験を振り返りながら今の私がいる業界を見てみます。
女風を始めとし、世のサービス業をみていると様々な「○○をしますよ」という謳い文句を多々拝見します。もちろんする側にとって他意はないのは承知の上ですし私も使うことがありますが、それが結果的に受け手にとっては有難迷惑になってしまうこともあるかもしれません。本質欠いた優しさは優しさとは私は思えません。
お客様が本当は話を聞いてほしいのに、キャストが一方的に話しをしてしまったり、逆に話を沢山して欲しい仰って下さっている中で静まりかえってしまったり。性感よりもコミュケーションを取りたいのにそこを欠いてしまったり。私がしてあげたいこと=ニーズとは限らず、実際の要望は常に盲目であることを意識しなければいけないのでしょう。
ただそうなると、我々って実際無力だなと悲観しがちですが、だからこそまずは自己の引き出しやスペックを増やし広げておくのが大切なのではないでしょうか。求められた時にそれを提供できればいい。特に自分が興味関心のある分野で深いマッチングがあり、結果的に双方ウィンウィンな関係になるのが一番平和的ではないかなと思えます。相手に寄せるために相手の領域や分野学びすり寄ろうとすることはすごく大事だと思うのですが、まずは自分の中での専門性、簡単なところ趣味等をもっと引き延ばしていった方が最終的に深く誰かの役に立つのではないかと感じる今日この頃です。もしも来てくださった方に元気がなかったら、私の料理やオススメで苺スイーツでも出してあげられたらいいな~と思います。笑
今以上に人生に余裕をもってみようと考えました。結果的にそれが誰かの役に立てば万々歳なのかなと。2025年、これを読まれてる方に幸が訪れますように(^^♪